EXPERIENCE STORY
体験記

中学受験体験記

飯田くん

YTネットのAコース(一番下のコースです)で入塾。1年半でC1コースまで上がり、慶応義塾中等部に合格
(慶応義塾中等部はSコースの人がチャレンジする学校で、Cコースからでも難しく、ましてやAコースから入るのは奇跡といえます)

1年前、初めて飯山君(仮名)とあった時は、こんな奇跡を起こす天才的な子供とはだれも思いませんでした。なぜなら「いろいろ塾を変えたけれど、成績はほとんど上がらなかった」と言っていたからです。

しかしお母様は違っていました。「この子には才能がある」と感じていたのです。「きっとこの子の才能を伸ばせる場所がある」と、塾を探し続けていました。そして集団指導塾、個別指導塾、自立学習指導会とあきらめず塾を変えてきました。結果的に、お母様の直感は正しいものだったといえます。

彼の受験勉強は小3の2月から始まりました。賢い子だったので、お母様はまず有名集団塾に入れました。しかし競争の中で成果を上げることができず、4年の2月に退塾。競争という環境下で精一杯がんばってみても、うまくなじめないのです。恐らく自分のペースで進めないため、焦ってしまったのだと思います。「個別でなくてはこの子は伸びない」と感じたお母様は、5年生の6月に今度は有名個別指導塾を選び、彼を通わせました。

しかしそこでは大手塾であるが故の、悪い点がたくさん出てきました。「人数が多いため、分からないことがあっても時間がなくて質問できない」「先生がアルバイトのため生徒がやるべき方向性を示せず、その結果生徒の好きな科目に勉強が偏る」「間違い直しがきちんとできていない」など、指導が大雑把なのです。やはり成績は上がらず、結局辞めてしまいました。

そして半分あきらめ、またかすかな期待を寄せて自立学習指導会を訪れた時にはもう、5年の9月になっていました。

前の塾でうまくいかなかったこともあり、自立学習指導会では最初はテストを受けずに、算数の勉強の仕方を学びました。そして2月から本格的にテストを受け始めました。そこから飯山くんの快進撃は始まります。以下がテストの結果です。

2014年度YTネット

1月  一般生
2月  A-18組
3月  B-2組
5月  B-7組
6月  C-13組
7月  C-7組
9月  C-7組
10月  C-1組

そして10月には国語のテストでなんと偏差値80を出し、全国4位になりました。
この勢いを維持して、2015年の2月、いよいよ受験。

2月1日 芝中学校 合格
2月2日 青山学院中学校 合格
2月5日 慶應義塾中等部 合格

と受ける学校すべてに合格し、5年生の時には夢のまた夢であった慶応義塾中等部にも受かってしまいました。

私は言いたいです。
「飯山くん本当におめでとう。私は君のような受験生を指導できて光栄です。そして誇りです。ここで身につけた自立学習という強力な武器を使って、中学でもそして社会でも活躍してください。」 加藤竜哉

飯山くんの言葉
「加藤先生本当にありがとうございました。この塾に来なかったなら慶応義塾中等部には決して受かっていなかったと思います。この塾と出会えたのは本当に幸運でした。すごく楽しく、充実して勉強ができました。そして細かく面倒を見てくれた加藤先生、ありがとうございます。加藤先生を僕こそ誇りに思います。」

飯塚さん 

転塾して大躍進!!

その裏には個別指導のきめ細かさがありました。

飯塚さんは、小学校5年生の時に当塾にやって来ました。
彼女の悩みは成績が上がらないこと。

「国語と社会は好きだから勉強するが、算数と理科は嫌いだから勉強しない」。性格は真面目なので家で宿題はやるものの、それ以上のことはやらないので、成績も上がらないということでした。
まずは、算数の苦手なところを、自立学習指導会の勉強法で冬期講習中に復習をしました。しかし、今まで飯塚さんの勉強方法は自分のやり方だったので、はじめのうちは当塾の勉強方法を指導し、実践した時、少し戸惑っていました。また、指導していて感じたことは、勉強面ではめんどくさがり、分かっていなくてもそのままにするタイプだったのです。これではうまくいかないので、分からないところは質問するよう何度も本人に話し、先生側から本当に分かっているのか質問することで改善していきました。

冬期講習で復習・勉強方法を学んで、1月からテストを受け始めましたが、4教科の偏差値は50前後でした。6年になり、勉強方法に慣れてきて、分からないところは質問するようになってきたことで、成績は少しずつ上昇。お母様も、「自習中にも質問できるようになって、娘にとって良い環境だ」と感じてくださっていました。

自宅学習
夏期講習前のお母様の相談は「6年になり、勉強方法を身につけ、自宅学習の時間も増えてはきたが、家では自分が決めた分しかやらない」ということでした。詳しくお聞きすると、例えば算数は月曜日を期限にポイントチェック・例題まで、理科・社会は要点チェックまでと自分で制限をかけているということです。
そこで、苦手な算数や理科を無理にやらせないで、家では宿題が終わったら得意な社会と国語をやってもらうようにアドバイスしました。苦手な教科を子供にやらせることは親にとっては大きな負担です。そこで、算数や理科は自習環境が整っている塾でやれば良いということを説明しました。

トップ賞
その後、夏期講習で長時間の勉強を乗り切り、6年生下第9回に初めてトップ賞(Aコース):偏差値80をとることができたのです!
また、勉強が飯塚さんの中で上手く回り始め、トップ賞はこの1回だけでなく、この後も3回獲得。本人も先生も大喜びでした!

高校受験体験記

愛奈ちゃん 

中3の7月23日に夏期講習として入塾しました。夏期講習で愛奈ちゃんは目いっぱい勉強して、9月10日のテストではなんと通知表が7つ上がりました。11月の最終試験ではさらにひとつ上がり、合計8つ通知表がアップしたのです。

中2の内申 33

7月23日に入塾

中3の9月テストでの内申 40 中3の11月のテストでの内申  41

愛奈ちゃんが当塾に来たのは、前年の6月にサンケイリビングの編集者インタビューに、自立学習指導会の高瀬塾長の紹介記事が載ったのがきっかけでした。それを読んだお母様が「このような塾を探していました」と訪れてくださったのです。今の塾のあり方に疑問を持っていたお母様には、「自分で勉強すること」に重点を置いた「自立学習」がきっと成績を上げることにつながると直感されたのでしょう。お母様の読みは的中しました。

愛奈ちゃんは元々努力家です。しかし、努力は正しい方法で実行することで初めて効果が出るものです。愛奈ちゃんは当塾に入る前も一生懸命努力していましたが、さっぱり成績に表れませんでした。

当塾に入ったのは7月の夏期講習(7月23日)からです。 そして夏期講習明けの9月10日の試験で、なんと通知表を7つも上げてしまったのです。たった2ヶ月で通知表を7つも上げたのですから、奇跡としか言えません。

通知表は良い成績をとっただけで上がらないと言われています。しかし愛奈ちゃんは夏期講習だけで実力をつけ、成績を上げてしまったのですから、現実的に成績も重要なポイントであると改めて証明された形になりました。

そして11月10日に行われた最終試験ではさらにひとつ通知表が上がり、トータルで8つ上げることができました。内申点としては8×2=16上げたことになります。 中2までの内申点が33、当塾に入ってからの内申点が41、内申点にして99から115に上がったことになります。

森田くん 

快挙!! 学年1位 12科目オール5!

青葉台教室 森田倖平くん(高1)ついにやってくれました!
学年トップ、しかもオール5という見事な成績!

森田くんが自立学習指導会に入塾したのは中2の10月でした。寡黙なサッカー少年で、本人は勉強には何の焦りもなく部活と遊びに熱中する毎日を送っていました。成績は「中の中」くらいで、塾で言われたことはやるものの、言われなければほとんど何も自主的に勉強することはありませんでした。
さらに中3になってからはどの教科も成績が下がっていき、お母様は面談で「どうしたらやる気になるのでしょうか…?」とため息。「このままでは公立高校はあきらめてどこか拾ってくれる私立高校を考えないといけないかもしれない」と思っていたそうです。
というのも、学校で出された宿題や提出物はまったく出さなかったため、通知表にはどの教科においても「提出物を出すようにしましょう」と記載される始末だったからです。
さすがに当時の私も参っていました。どんなに定期テストでがんばったところで通知表の評価は上がらないので、小テストや提出物の大事さについて口酸っぱく何度も何度も言い続けましたが、見事にスルー。先生としても八方塞がりといった感じでした。そんな森田くんが、たったの1日で大きく意識が変わったのです!

あの“勉強合宿”の日から。

私は集中力というのもひとつの大事な能力だと思っています。どんなに地頭が良くても集中する能力がなければ、持っている才能を開花させることはできません。
彼は覚醒し、その能力を開花させたのです。

ここから森田くんの快進撃が始まりました!

自分から毎日塾に行きたいと言うようになり、到着すると一心不乱に机に向かって勉強に励んでいました。毎日、毎日、中学校の授業が終わるとすぐに塾に来て、塾が終わる時間まで誰よりも勉強し、集中していました。
その甲斐あって、高校入学後の新入生課題テストは生まれて初めての数学100点!!1学期の中間テストも理科100点、英語91点、数学94点…と素晴らしいスタートダッシュを切りました!そして、期末テストが終わり、1学期の通知表がでました。

学年2位!

しかし森田くんは全然満足せず、さらに上を狙っていました。2学期の中間テストは英語・数学ともに100点満点をとり、もう勢いは止まりません。そしてついに2学期の通知表が渡されました。352人中1位!12科目オール5!!という快挙を成し遂げたのです。

これからは自分との戦いです。森田くんは今日も黙々と勉強に励んでいます。
「学校のペースに合わせていては大学受験では全く勝負できないですから」

長島さん 

長島未来
医学部への特別推薦枠
まだ東海大付属高校野球部が甲子園で優勝する前のこと。センター北の塾に東海大付属中学の校長先生と教頭の江崎先生がお話に来てくれました。

まだ東海大付属高校野球部が甲子園で優勝する前のこと。センター北の塾に東海大付属中学の校長先生と教頭の江崎先生がお話に来てくれました。

「先生の塾はお医者さんのお子さんが多数通っているとのことですので、お子さんを医学部に入れたいと思う親御さんもたくさんいると思います。うちの(東海大付属中高)学校でしたらそういう生徒さんにぴったりの方法があるんです。学年上位80番以内なら、10名の医学部推薦枠があるので、校内でがんばれば医学部に行けます。興味のある生徒さんがいましたらいつでもお声をかけてください」

私はその時、「なるほど、医学部へ入ることは東大へ入るより難しいといわれている今の時代、それを見据えればかなり楽かも!!」と思っただけでした。

偶然に
それから、3名の生徒さんをセンター北の塾から東海大付属へご紹介しました。一人は東邦大学付属の医者の息子さん、そして、この奇跡の物語に登場する長嶋未来さんです。未来さんのお母様とは、私の三番目の子供と幼稚園のバスが一緒で、毎日バス停でお話しする仲良しでした。しかし、塾を経営している私が塾に勧めることはあえてしませんでした。
そんな中、未来さんが小学生から中2にかけて大手フランチャイズ系の集団塾に通っていた時の出来事です。彼女の成績が頭打ちで悩んでいた時、偶然ノースポートで出会いました。いつもとても不思議に思うことがあります。長島さんとは悩み考えている時「ふとそこで出会いがあった!!」という経路があることです。

真面目で黙々と
未来さんはやるべきことをしっかり丁寧にできる子でした。いつも真面目で黙々とがんばります。ですが、大手集団塾では無駄が多すぎました。まずその塾のテキストを買って、難しいことばかりに挑戦し、塾の宿題をこなすのに苦労していたのです。そんな中2の夏、偶然の出会いから夏期講習生として当塾に入塾してくださいました。それからの内容は高校進学へ向けての内申点アップ対策です。まず、彼女にとって成績を上げやすい音楽や美術系をチェックしました。すぐさま音楽の成績は4→5にアップ。次いで、国語も4→5にアップに成功しました。


内申点の問題はいつのまにかクリアーし、悩みではなくなっていました。内申がアップする中で私が一番素晴らしいと思ったのは、未来さんは自分の弱点を見抜いていること。「私はコツコツとテストに向けて勉強はできるが、一発勝負の入試に勝てるとは思えないのです」と言ったのです。その時、私は昔の自分を思い出しました。まるで自分の過去のことのように納得できたのです。ピンときて、迷わず内申勝負の推薦入試を勧めました。4と5を持つ内申のおかげで、学校をいくつも選ぶことが可能でした。

三者面談
推薦入試の候補を考えていた時、東海大の校長先生の言葉がよみがえってきて、私は未来さんに勧めてみました。「未来さん、内申がこれだけとれるならどこでも行けるけど、東海大付属に入って、上位80番以内をキープしたら医学部に行けるし、未来さんなら女医の道に向いているんじゃない?」と。未来さんは素直でした。中学3年12月15日、担任の先生との三者面談で、他の学校にも多数行けた状況で、「塾の先生が、東海大付属が良いと言っていたのでそうします」と伝えたそうです。

高校生活もがんばる道を選んだ未来さん
未来さんは自分のレベルよりちょっと低いことを知りつつも、12月の面談後、1月も2月も、高校3年生まで中2の受験カリキュラムを変更することなく、週3回の指導を4年間続けてくれました。すでに自立学習は身についていたにも関わらず、先生に確認してもらいに来ていました。ピアノが上手な彼女は、まるでピアノレッスンの確認のように通ってくれたのです。私は正直、「お友達のお子さんでもあるし、こんなに来てもらっていいのかな?大学には行けるわけだし?」と複雑な気持ちもありました。

喜びのメール
先日の夜中にメールが届きました。
「会ってから話そうと思ったのですが、この間のテストと今までの成績が良かったので、学校から特別奨励をもらいました。特別奨励をもらった人は第一希望の学部がもう確定らしいです!第二希望になることはないそうです。奨学金ももらえるみたいです!」 私はベッドから飛び起きました。次に、嬉しさがドッと溢れてきました。まるで自分のことのようにワクワクしてきたのです。コツコツ、コツコツ、塾など必要ないくらい自分でできるのに、ペースを崩すことなく、4年も通ってくれたご褒美だと思います。「未来さんは奨学金も手に入れたのだ!!すごい!!」と喜びに満ちていました。「あの時東海大の先生に言われた通り、医学部を希望すれば医学部にも行ける道を手に入れたのだ!!」と、未来さんの人生の新たなスタートに直面できたことに喜びと希望と感謝で一杯です。ありがとう!!未来さん。

大学受験体験記

石山くん 

学年ビリから、慶應義塾大学に合格

石山君(仮名)がお母様と一緒に自立学習指導会を訪れたのは、彼が高校2年生の夏休み前でした。お母様はとても困った顔をして、「来年3月、2年生最後の試験で良い点を取らないと、留年になるので何とかして欲しい」とのことでした。それもそのはず、彼は学年でビリだったのです。

しかし本人は勉強をする気はなく、母親にいやいや塾に引っ張られてきている様子がありありと見えました。ただ、本人も留年だけはしたくないという気持ちはありました。その気持ちだけでかろうじて入塾し、勉強を始めることになったのです。

最初の頃
元々勉強をしたいわけではなく、留年は嫌だという後ろ向きの入塾動機のため、最初の頃は大変でした。初日から教科書を忘れてとりに帰ったり、指導に遅れたり、いつの間にかいなくなったり、慣れていない勉強のためすぐ疲れたりなど、まるでできの悪い小学生の面倒を見ている感覚でした。それを察してかお母様も同様の心配をしていて、「子供は塾へ行っているでしょうか」という電話がかかってくるのです。塾へ行くと言って他のところに遊びに行っているのではないかと本気で心配していました。そんな状況がかれこれ一月ぐらい続きました。

しかしながら、勉強の方は最初からうまく進みました。当時の記録を見ると、指導の初日7月24日に、2時間で教科書が10ページも進んでいるのです。これは、石山くんが自立学習を受け入れた証拠です。いま思えばこの2時間が彼の将来を決めたのかもしれません。

中学からの歴史
石山くんは元々能力のある子供です。中学は滑り止めのところでしたが、入学当初は成績もトップクラスだったそうです。しかし学年を上げる毎に成績が低下して、ビリまでたどり着いてしまいました。そしてビリから抜け出せない泥沼にはまってしまったのです。

ビリになった後は、勉強が好きではない友達との関係ができて、そのような仲間と安心してビリの生活をエンジョイしていた節が見られます。音楽やゲーム、インターネットに楽しみを見いだし、髪を金髪に染めて人生を楽しんでいました。金髪にした石山くんに対し、塾の生徒が遠ざかっていき、彼の周りに人のいない孤立した空間が生まれた時期もありました。173センチの茶髪の高校生が塾にいたら、小学生や中学生はびっくりするかもしれませんね!

そんな石山くんですが、7、8月と、夏期講習を受けるうちに自立学習のレベルが上がってきました。その当時は数学のみの勉強でしたが、私は彼の理解力に手応えを感じました。下は実際の成績の推移です。

高校2年生

数2 数B 総合順位
1学期期末テスト 素点 4 0
順位 35/36 37/37 37/37
1学期期末テストの後の7月に入塾
2学期中間テスト 素点 18 30
順位 27/37 25/37 37/37
2学期期末テスト 素点 65 45
順位 3/37 18/37 27/37

当塾へ来るまで、長年クラスでビリだった子が2学期期末テストで数2:クラス3位に躍進したのです。本当にすごいですね。他の教科も軒並み順位が上がって、無事留年せずに高校3年生に進級することができました。本人も指導する先生も大喜びでした。

大学受験への道  高校3年生 成績が急伸し、自立学習による勉強の楽しさを感じるようになった石山くんは、自然に大学受験への目標を持つようになりました。元々高い才能を持っていた子だけに、当然の結果だと思います。しかし周りの生徒に比べて勉強は大幅に遅れています。高校3年生の4月の段階で、受験対策がほとんどゼロの状態なのです。本来、中学から6年かけて仕上げる大学受験対策を、たった1年で仕上げられるでしょうか?

高校3年生 高校3年生になってから、石山くんは一層勉強をがんばるようになりました。6月頃には数学の成績が大きく伸び、河合塾の偏差値は55。しかし英語、理科が悪く、全体では45程度でした。

日中は学校で授業を聞き、家に帰ってからは、学習が遅れている数学や英語を勉強しなくてはなりません。数学で言えば数3、Cを学校でやり、家で数1、2、A、Bの勉強をするという、他の受験生に比べて圧倒的に不利な状況です。この頃の彼のテーマは、学校の勉強と遅れた1、2年の勉強をどのように両立させるかということでした。 目標を明治大学の先端メディアと決め、一生懸命勉強はしましたが、受験直前で数学の偏差値55、英語、国語が50程度となかなか目標まで届かず、結局大学に受かることはできませんでした。

ただ目標に届かなかったのは、勉強の開始が遅かっただけなので、浪人すればきっと取り戻せるという確信もあり、迷わず彼は浪人することを決めました。

浪人時代
前半

浪人時代は学校に行く必要がなくなったため、毎日多くの勉強ができるようになりました。しかし、毎日24時間自由に使えるとなると、かえって勉強は捗らないものです。午前中はずっと寝て、午後、塾の開いている6時間だけ勉強するようにしました。

この頃の問題点は睡眠の不規則性です。石山くんは中学・高校で学校の成績がビリの暗い時代に睡眠障害に陥ってしまっていたのです。朝早くに起きられず、昼頃に起きて勉強を始めるのが通常でした。

睡眠障害は本人の持っている力を半減させます。昼間の勉強が集中できないのはもちろん、受験は朝にありますから、朝方はボーッとしてしまい、実力を発揮できないのです。そこで、9月をめどに本格的に睡眠障害を直す指導をしました。朝起きる時、布団の中にいては決して起きることはできません。まず布団から出て、体を動かすことを指示しました。 大学受験という強い目的があるため、彼は目覚ましのベルが鳴ったらなんとか布団から這い出して体を動かし、少しずつ起きられるようになっていきます。

後半
9月頃から毎日15時間の勉強を指示しました。実際に15時間勉強ができるようになったのは、12月頃のことです。

そして最後に、受験会場で緊張しないコツの指導をしました。なぜなら本番で実力を出すことは実は難しく、せっかく高い成績を持っていても実力を発揮できないということがよくあるからです。

こうして、様々な指導や本人の努力があって、石山くんは受験で快進撃を遂げました。その年のセンター試験では数2が異常に難しく、ニュースサイトでも取り上げられたほどですが、他の受験生が大敗する中、とても良くできていました。その好成績は、青山大学にセンター利用で受かったほどです。

慶應義塾大学環境情報学部 、理科大、明治、青山、…

受験後、お母様から感謝の言葉をいただきました。

教室の雰囲気がとても温かく、先生方が家族のように(それ以上に)親身になって息子を支えてくださいました。それがあったからこそ、辛い浪人生活を耐えることができたのだと思います。また自立学習という方法で、息子には自分で考え解くということが身につきました。分からないところは必ず先生がフォローしてくださり、その積み重ねがあったからこそ、今回の好結果につながったのでしょう。今の息子があるのは自立学習指導会の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

阿部くん 

憧れ続けた慶應義塾大学に合格! 阿部健太郎くん

あべけん!本当におめでとう。よく頑張りました。 君がうちの塾に入ったのは中学校3年の12月、私立高校入試まであと2ヶ月という切羽詰まった時期でしたね。そんな時期にもかかわらず英語の文章が読めずに大分苦労しました・・・。

最初の奇跡:大手塾の入塾試験に不合格 それまで長年通っていた塾で成績は全く上がらず、高校入試も間近にせまった中学3年の12月に一大決心で大手集団塾の入塾試験を受けました。しかしこの入塾試験すら不合格、藁をもつかむ思いで自立学習指導会に駆け込んできました。
あと2ヶ月、しかも私立一本と無謀にも思える受験でした。
一番の課題だった英語は、イディオムの覚え方・文法問題の取り組み方・英文の読解方法から実際に問題を解くときのコツまで私が与えたものはすぐに吸収し、見事第一志望の桐蔭学園(しかも理数科!)に合格しました。
これが最初のの奇跡でした。

部活に明け暮れた高校生活
短期間で苦手だった英語の力を大きく伸ばし、徐々に自立学習のスタイルを身につけてきた阿部くんの次の課題は部活との両立でした。 運動部に所属した彼は、毎日ハードなスケジュールに追われていたので最低限の課題すら進められず、案の定、常に定期考査では中の下といった感じでした。 そういった成績とは裏腹に、彼の中では『慶應義塾』というはっきりしたキーワードが常にあり、そんな状態でははっきり言って『叶わぬ夢』でした。 私たち指導者側としては「能力はあるのにもったいない」ともどかしい気持ちでいっぱいでした。 このペースでは何年勉強したところで、いわゆる中堅大学さえも手に届かないことを懸念して、まず部活を辞めるようにと散々言って聞かせましたが、なかなか彼の心に響くことはありませんでした。 そして高2の2月の模試。 なんと英数国の偏差値30台のトリプルスリーを叩き出してしまったのです。 さすがに本人も顔面蒼白、そこから阿部君の受験勉強がやっと始まったのです。

憧れの慶應義塾への扉
意識は受験に向かったとしてもまだまだ部活は続けていたのでまずはなんと言っても勉強時間の確保が課題でした。 具体的に合格までのプロジェクトを作成し、それを効率的に遂行させる事だけを実践させなければなりませんでした 少ない勉強時間でもこちらが与えた大量の勉強量をなんとかこなし、少しずつ形になってきました。 高3の5月には英語の偏差値が50台まで伸び、ようやく明るい兆しが見えてきました。 とは言っても目指すは慶應。 その科目もまだまだ世の中の必死に頑張っている受験生たちの足元にも及ばないのが現実でした。 添削していても薄っぺらい内容の小論文。 一所懸命に暗記しても一向に点数に結びつかない世界史。 彼も私もお互いに苦虫をかみしめていました。 夏の模試では英語の偏差値が60を超えてきましたが世界史が大きく足を引っ張り、判定はEのまま変わらず。 ただ秋口からの徹底的な過去問演では大分点数を伸ばしてきたので、一発大逆転を予感させるものもありました。 1月 センター試験での大失敗。 2月 他大学から入試が始まりました。 本命の試験日の直前に続く不合格の知らせ。 本命では英語は手応えがあったものの、小論文は途中までしか書ききれず・・・。 中堅校1校は合格しました。 しかし今までの遅れを取り戻すには時間が足りなすぎました。

スロースタートの春
やはり憧れは捨てることなく彼は浪人の道を選択しました。 私の経験上、現役生は後半の追い上げがとてつもないので、浪人生はスタートダッシュが何よりも大切です。 ・・・が、のらりくらり。 もどかしい。。。 あんなに勢いに乗っていた英語は毎日ちょこっと目を通すくらい。 頑張っていたのは1月の時点で偏差値70に迫る勢いだった世界史だけ。 案の定、4月の模試では総合偏差値は60そこそこ。 私が求める75以上(浪人生は最初が一番偏差値を稼ぎやすい)にはほど遠く、またもやもどかしさを感じていました。 ただ、浪人生は生活リズムを整えるのが何よりも大事。 焦らずぐっと堪えて、しかし多少うるさく口を挟みながら夏までのプロジェクトをこなしてきました

栄冠への道
やっとエンジンがかかり朝から夜中まで塾で缶詰だった夏期講習・・・ とにかく問題演習に明け暮れた冬期講習・・・ そして1月・・・
欲を言えばまだやって欲しいことはたくさんありましたが、着実に力が付いているのは目に見えて分かりました。 2度目のセンター試験では出願した志望校を総なめしてしまいそうな予感がしました。 結果は。 4校中1校のみ合格。 しかも前年と同じ大学・・・。 さすがに私もショックでした。 めげました。 しかし、彼は戦い続けているのです。 「大丈夫です!何とかしますから!」と気丈に振る舞う彼。 昨年あれだけ悔しい思いをして、満を持した今年も惨敗となって心中穏やかな筈などないのに。 強い! 本当に努力して力を付けた者の強さを目の当たりにして私は一瞬でも彼を信じられなかった自分を責めました。 と同時に合格の知らせを確信を持って迎えようと心に決めました。 2月11日 中央大学 全学部入試 合格 2月11日 中央大学 文学部 合格 2月23日 慶應義塾大学 文学部 合格 今はうちの講師としても活躍してくれています。